まるで世界との最後の糸

 

名古屋から伊勢志摩に、活動拠点を移して1年が経とうとしています。

 

 

いつの間にか、こどもたちと過ごしていた時間が、仕事ではなく必要不可欠な日常になっていたことに気がつきました。いっしょに過ごした、たくさんの時間が、わたしをこんな気持ちにさせてくれたことにも気がつきました。

 

こんなにさみしくなるほど、大切な存在になっていたこと。また、さみしい分、本当にみんなが大切な存在だということを心の奥底から感じました。

こんなに会いたくなる宝物のようなみんなと出逢えて、みんなも会いたいと思ってくれていることが、当たり前のことじゃないことだと、分かっていたようで分かっていなかったと感じもしました。

本当は尊いこと、本当は幸せなこと、本当は奇跡のようなことを、単なる出来事と同列に並べてしまわないように。そんなことも。

 

人は、人のなかで生きて傷つくことがあります。

人のなかで生きるからこそ、傷つきます。傷つけてしまうこともあります。わたしたちは生身の人間ですから。

でも、それでも、人の幸せは、人のなかにしかないと思うのです。

それは、人が生きることが「人のなか」にあるからです。

人が生きることがそれに尽きると言っても過言ではないからです。

私たちが、こどもたちに伝えたいことはそういったことです。

 

みんな、思うよりずっと器用ではなく、

自信なんてわずかで、さほど強くもなく、

さみしがり屋で、強がりで、臆病だと。

わたし自身もそうであること。

 

だからこそ、わたしたちには他者が必要です。

いいところも、わるいところもあって、それを受け入れ合える相手が、本当に自分にとっての大切な相手です。完璧だから愛されるわけではなく、人を愛するわけではないこと。

 

ただ、大切なだれかといっしょに生きるために、自分を守り、自分の道を切り開く。大切な人を守り、いっしょに歩く道をつくる。いざというときに闘える力も必要です。

 

わたしたちとの関係が、まるで世界との最後の糸みたいにつながっている心の子どもたちがいるんです。

何もないように笑って、でもひとりの時は泣いていて、声にならない声を小さな胸いっぱい、溢れ出しそうなくらい閉じこめて生きている子どもたちがいます。

 

苦しいときに、苦しい顔ができない。苦しい顔をしない。

 

苦しいときに、苦しいと言えない。苦しいことを声にも出したくない。

 

 

想いをどう言葉にしたらいいのか、どんな顔をしたらいいのか、そんなこどもたちはいっぱいいます。自分の想いを受け止めるだけで精一杯のこどもたちがいっぱいいます。

 

 

そこから救い出すには、まずわたしがどんな風に、この世界を見つめられたらいいんだろう。

そんな見えないものを見える自分になるには、どうしたらいい?

そんな聞こえない声を聞ける自分になるには、どうしたらいい?

 

 

 

相手が笑顔を見せてくれるまで、

わたしは何度も笑う。

笑って話しかけよう。

そこに声ある返事がなくても、

ちゃんと、わたしの声は届いていることを忘れないように。

 

わたし自身が、してほしかったように。

してもらって救われたように。

 

 

言葉が、頷きが、眼差しが、いっしょにいる距離が、些細にみえるすべてが、子ども一人ひとりにとって、こころを救うすべてになると、ようやく分かってきたような気がしています。

きちんと伝わっている。わたしを見て、こどもたちはいろんなことを、感じ、考え、思ったりしている。そういうことをきちんと、わたし自身が、まず胸にとめていよう。

そうしないと、こちらも挫けてしまうから。

 

 

沈黙にみえる中に、

なにもないように見える世界に、

動かないように見える世界に、

 

この目は、何を映せるだろう。

この耳は、何を聴くだろう。

この心は、何を感じ取ることができるだろう。

 

単なる絵画教室ではなく、技法を教えるだけの絵描き仕事ではなく、

絵が大好きな者たちが、それを通して、大切なことに気づき、大切なものを具体的に大切にできる力を育む、これからもそんな場所でありたい。

 

 

時代に合った、時代が求めている「新しい学問」を創りたいと考えています。子どもたちが、心を守って、一生を生きていくための具体的な力をつける。子どもにも社会があります。その社会生活の中で、大人になってから幕を開ける厳しい社会生活の中で、わたしと離れた先にも、きちんと自分の心で立つことのできる力を、と思っています。

 

 

 

それが、私たちの一生の課題です。

自分の経験を、自分のものだけとして終わらせずに、これからのこどもたちにどういった形でつないでいけるか。こどもたちがいる世界のなかで、こどもと生きる大人たちがどうあるべきか。わたしたちの創っている「あたらしい学問」の最大の核になるのが、こういった視点だと考えています。

 

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